AKB48 チームBのファンより

2008年6月にgooblogで開設したブログが、引っ越してきました。複数のメンバーがAKBグループや坂道グループを中心に自由に語るサイトです。

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観る。ネタバレあり。(ときめき研究家)

大ヒットしていると聞いて、予備知識はほとんど無しで鑑賞した。

評判どおり、大人の鑑賞にも耐えうるストーリーで、「鬼退治に行った桃太郎は正義か?」に似たような問いを含んでいたと思う。そのテーマについてはここでは書かない。

 

アイドルについて語るこのブログに書きたいのは、映画が始まってすぐに覚えた違和感のことだ。「ちいかわ」「はちわれ」「うさぎ」など、主要キャラクターに対して、一緒の船で島に向かう者たちや、島で彼らを迎える住民たちが、顔も体も濃いグレーで塗りつぶされて描かれていたのだ。いわゆる「モブ」には、顔かたちは不要という割り切った極端な表現方法だった。

確かに、大勢の「モブ」をいちいち丁寧に描くことは大変だし、見る方もそこに関心はない。だったら極端な省略をしてもいいし、むしろその方が主要キャラクターが際立って見えるので効果的だ。

実写映画ではエキストラも実在の人間が演じるしかないので、アニメならではの表現方法なのだと理解した。

その極端な省略表現がアイドルとどう繋がるかというと、それは大人数グループの中で数名知っているメンバーがいる時の主観的な見え方と同じではないか、と気づいたのだ。もちろん知らないメンバーもちゃんと顔かたちは目に映ってはいる。しかし意識の中では、濃いグレーで塗りつぶされたのと同じようにしか認識できていないのではないか。

例えば、乃木坂46では生駒里奈と白石麻衣と生田絵梨花と秋元真夏くらいしか顔と名前が一致しない時期があった。その時の私には、きっとこんな風に見えていたのだろう。

 

ところが、ちいかわの映画では、ストーリーが進むと、濃いグレーで塗りつぶされた住民の中に、重要な役割を果たす者が現れる。そんな重要な役なのに顔がなくていいのかとも思うが、他の「モブ」とは異なる特徴を最初から有していたのだ。乃木坂で言えば、ある日突然、私が西野七瀬に気づいたようなことかもしれない。